ミナキズムは日本では「最小国家主義」と言い、政府・国家の役割を拡大させる現代に疑問を投げかける存在です。
日本では自衛隊や警察など安全保障やインフラ、保険・年金、教育に至るまで国と各行政による運営、管理が行われております。
一方で自由経済と言いつつ国家的介入、半国営団体の存在など、国が手を出す範囲の曖昧さが問題にもなっていますね。近年の民営化も株式化しただけで、実質上公営企業とあまり変わらない状況となっている、さりとて利益ばかり追い求めサービスが低下するようでは困ると言った状況がありますね。
多くのミナキストは最小の公的サービス、安全保障を残し「小さな政府」を達成しようとするものです。つまり、税金や公金ありきの国家戦略ではなく、必要性や受益者の負担による地域・主体者中心の戦略にコンバートさせようと言うものです。
我々「BLACK HOLE OF MINARCHISM」は国家が管理すべきものと、国民が主体となり選択すべきものを分けるべきと主張しています。
政治で言いますと、政治家を選挙で選ぶ・選ばれる事が現在の政治参加手段になりますが、重要な判断において個人の意見(一票)が尊重されるとは限りません。大抵の場合、裏切られる事が多いとして話題になります。なぜ国民が最終的な判断に参加できないのか。
例えば「原発再稼働」問題を上げますと、国民がいくら反対と言っても決定にはまったく影響しないものになっていますね。政治として考えると国民感情よりも、雇用や経済成長の為のエネルギー、その他大企業の圧力の方が大事になってくるわけですが、「ここで原発を主体としたエネルギー産業界を残すか、新しいエネルギー産業へ転換を図るか」と言った時代の転換点を一部の人だけで話し合う事が得策なのでしょうか。原発は残すが、太陽エネルギーも必要、と変な妥協案ばかり出ている気がしてなりません。
我々は自らエネルギー政策に対して参加をしていかねばなりません。形ばかりのエネルギー自由化に踊らされてはいけません。
企業は理念やコストでエネルギーを選ぶ時代になっています。再生可能エネルギーを推奨するだけではなく、自ら再生可能エネルギーを作り、使っていかなければいけない時代になっています。
個人にあっても、電気や石油に依存した世界から脱するためには自らの行動で示していかねばなりません。その行動を国が制限してはいけませんし、行動を阻害しているものを排除しなくてはなりません。これが「自由」であります。
国はあくまで電力会社の所有する「エネルギー生産」の方法に関して、主体になっているのは正しいのでしょうか。逆説的に、「事故が起きた時責任がとれない施設」を民間企業が所有管理している事が正しいのでしょうか。またこのような問題を国民の理解無く決定されるような政治形態が正しいと言えるでしょうか。
我々「BLACK HOLE OF MINARCHISM」はこのような国の行き過ぎた権限、責任問題を回避し不当な権力を使わざるを得ない運営方式に反対します。
電力会社は国ではなく、使用する国民に対し十分な説明をし、納得してもらえたものを売らなくてはなりません。
国は電力会社に対して、事故の責任が取れない施設の運営を許可してはなりません。国民に対して説明とある程度是非の判断を委ねなければいけません。
国民は、不透明な国家・企業運営を許してはなりません。自ら行動し、未来を選択さなければなりません。
この日本で、いきなり電気を無くす生活をするわけにはいきませんが、電気はどのようなリスクを負い出来ているものか、この先何十年も電気を使っていくにあたりどう変えていくべきなのか、知り、発言する権利と義務があると考えます。
まずは、国民の権利を保障する適切な「参政権」、義務としての適宜な「直接民主制」を組み入れ、国の大きすぎる権力・決定権を小さくしていくことが大事と考えています。
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